ウォルターの息子ジュニアは脳性麻痺という設定でしたが、ジュニアを演じた俳優R.J.ミッテ(本名:ロイ・フランク・”R.J.”・ミッテ Ⅲ)も、軽度ながら実際に脳性麻痺を抱えています。

本人は杖がなくても歩ける
ジュニア同様脳性麻痺を抱えているとはいえ、R.J.ミッテの症状はずっと軽度。ジュニアは歩行に杖が必要、という設定でしたが、R.J君本人は杖がなくても余裕で歩けます(それどころかモデルとしてランウェイデビューもしています)。
杖を使ったことがなかったというR.J君、ドラマのために毎日深夜まで杖をついて歩く練習をしたそうです。「慣れるのはすごく大変だったよ。どこに足を入れて、体重をどうかけるかとか」。また、話し方もジュニアを演じるときはわざと普段より不明瞭に喋っているんだそうです。
生まれてすぐ脳が酸欠状態になり、3歳で発症
脳性麻痺は受精〜生後4週までの間に受けた脳の損傷によって引き起こされるそうですが、R.J君の場合、生まれた時に呼吸が停止してしまい、脳が一時的に酸欠になったことが原因のようです。

妊娠中に緊急搬送された母親から帝王切開で生まれたR.J君は、医師の適切な処置で息を吹き返した後は特に何の異常もみられず、生まれて数週間後には育ての親となるロイ・フランク・ミッテJr氏とダイナ・ミッテさんご夫婦に引き取られました。ところが成長するにつれ、徐々に手足がこわばるなどの徴候が現れはじめ、3歳の時に脳性麻痺と診断されたのだそうです。
障がいがわかった時、すでにロイ氏と離婚しシングル・マザーになっていた母ダイナさんは「一体どうしたらいいのか」と途方に暮れたそうです。医療関係者である叔母に「今日一日好きなだけ泣いて、明日には立ち上がってリサーチを始めなさい」と励まされ、その後も支えられながら「できるかぎり普通に育てること」「彼が望んでもできないことがある、などとは決して考えさせないこと」を信条にR.J君を育ててきたのだそうです。
泣きながら学校から帰ってきたことも
まだ小さかったR.J君は半年以上も足をギプスで固定するなど、辛く痛い治療に耐えなければなりませんでした。
それでもダイナさんの「普通に育てたい」という想いにより、R.J君は普通学校へ。ほとんどの子供は受け入れてくれたそうですが、いじめにあい骨折したこともあるとか。泣きながら帰ってきたことも何度かあったそうです。

「ブレイキング・バッド」第一話で家族と一緒に服を選んでいたジュニアをからかういじめっ子が出てきますが、R.J君曰く「あのシーンは僕にとってはリアリティがあったよ。僕はいじめっこの一番のターゲットだったからね」。
この間も治療を続けていたR.J君ですが、当初、医師に「今後数年ごとに足の手術が必要になるかもしれない」と言われていたそうです。ところが、ダイナさんが厳しく手足を動かす訓練をさせた甲斐あってか、また、本人がスポーツや運動が大好きで体を鍛え続けたことが幸いしたのか、徐々に身長が伸び(IMDbによると現在182cm)筋肉もつきはじめ、10代になる頃にはギプスがなくても全く普通に歩けるまでになったのだそうです。
ロサンザルスで俳優の道に
その後、妹が子役としてデビューする話が持ち上がったため、一家でロサンゼルスに移住。ミッテ君もエキストラとして映画やTVに出演するようになり、13歳の頃から家計を支えるようになります。そして、業界で出会った人々や経験に影響を受け自分も俳優になることを意識し始めた頃、妹の当時のマネージャーから「ブレイキング・バッド」のオーディションを勧められたのだそうです。
(ちなみに妹さんも、現在も女優さんです → Lacianne Carriere | IMDb)
ジュニアのモデルはヴィンス・ギリガンの大学時代の同級生
ジュニアのモデルになったのは、製作者ヴィンス・ギリガンのニューヨーク大学時代の同級生。すでに故人で、重度の脳性麻痺を抱えていたそうです。
ジュニア役を探すにあたって、当初ギリガンは障害のある俳優にこだわってはいなかったようですが、5回目のオーディションでR.J君に出会うことになります。R.J君曰く「僕にとっては完璧な役だったよ!最初はヴィンスが僕がちょっと健康的すぎるっていうんで説得するのに少し時間がかかったけど」とのこと。確かにR.J君、一見健康そのものですからねー。
ギリガンによると、R.J君は女性キャストやスタッフにとって「マタタビ」みたいな存在なんだとか。女性は彼と話すと夢見るような表情になるんだそうです。アルバカーキの撮影スタジオ周辺には、彼のファンという女性の「軍団」もいたそうで、ギリガンは「彼はこの先すごいキャリアを築くことになるよ!」と”予言”しています。
障がいのある人々の活躍を支えるスポークスマンに
「ブレイキング・バッド」の成功はもちろん、本人の実力が認められたおかげで、R.J君は現在俳優としてはもちろんのこと、数々の障がい者支援団体やグループのスポークスマンとしても活躍しています。
United Cerebral Palsy、IAM PWDにスポークスマンとして指名されている他、映画俳優組合(SAG)のメディア・アクセス・アワード(障がい者を正確に描いた作品・人物や障がいのある人でも楽しめる作品に贈られる賞)では、名誉会長の一人に名を連ね、さらに自身の名前がついた「RJミッテ 多様性賞(RJ Mitte Diversity Award)」という賞もできました。本人も2013年に同団体から「映画俳優組合ハロルド・ラッセル賞」を受賞しています。
受賞の様子はこちら↓。プレゼンターはスカイラーを演じたアンナ・ガン。
ちなみにヴィンス・ギリガンもメディア・アクセス・アワードの名誉会長の一人だそうです。2010年には「ブレイキング・バッド」で「障がいのあるリアルなキャラクターを描いた」として全米脚本家組合ジョアン・ヤング賞を受賞しています。
現在も俳優として、プロデューサーとして、さらにはDJ、モデルとしても活躍中のR.J君。「医者に何度『君にはそんなことできない』と言われたか数えきれないよ。言われるたびに『絶対やる』って言うだけだったけど。僕の障がいが今の僕という人間を作ったんだ」。
これからもどんどん活躍してくれるよう応援してます!
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